サン・チャイルドについて思うこと
1.事態の経緯
今年の8月3日、福島駅前に全高6.2mに達する巨大な子どもの像が設置された。黄色い防護服を着た姿の子どもで、「サン・チャイルド」という名前がつけられている。現代芸術家のヤノベケンジ氏の作品だ。
2011年に作成されたもので、ヤノベ氏自身は「黄色い放射能防護服を着ていますが、ヘルメットを脱いで左手に抱え、顔に傷を負い、絆創膏を貼りながらも、空を見上げて逞しく立っています。胸のガイガー・カウンターは、ゼロを表示しています(註 作者は、1991年からガイガー=ミュラー計数管を日本及び海外から取り寄せ、作品の素材として使っており、自然放射線の計測数で動く作品も多数制作しておりますので、空間線量がゼロになるという理解はしておりません。あくまで、原子力災害や核がゼロになった世界を象徴的に示しており、「ガイガー・カウンター」と簡略化して説明をしたことが誤解を招く元になっていたと反省しております。)。子供は未来を表しており、それらは放射能の心配のない世界を迎えた未来の姿の象徴でもあります。そして、右手に持つ「小さな太陽」は、次世代にエネルギー問題や放射能汚染が解決される「未来の希望」を象徴しています。また、巨人ゴリアテを前に、左肩に投石袋をかけ、右手に石を持つミケランジェロの《ダビデ像》(1501―1504)のオマージュでもあります。さらに、復興のために短期間で巨大な彫刻を集団制作する方法については、運慶の《金剛力士像》を参照しています。つまり、彫刻史上でもっとも著名で力のある作品の力を引き継ぎたいというヤノベの意思の表れでもあります。 」と説明されている。
サン・チャイルドは全部で3体作成された。2011年10月にはじめて大阪の万博記念公園で展示された。その後、岡本太郎記念館、東京の第五福竜丸展示館の敷地内にも展示された。イスラエルやロシア、愛知、岡山などでも展示された。一体は氏の故郷である大阪の阪急南茨木駅に常設設置された。ネットの記事を調べた範囲では、南茨木の人々の中には、この像を見ることで東日本大震災のことをしのぶ、という意見もあると同時に、「突然に駅前に巨大なモニュメントが設置されたこと」のとまどいを述べている意見もあった。
2012年の福島現代美術ビエンナーレに、福島の主催者からの出品依頼に応じて、ヤノベ氏のサン・チャイルドは福島空港の出発ロビーに展示された。ヤノベ氏はこの時、自身の作品は福島の人々に受け入れられるのが難しいだろうと考え、躊躇したそうである。しかし、強く要請され、資金不足の事務所のために自らクラウドファンディングを立ち上げ運搬費を集め、展示が実現したそうだ。この時点では福島県内からも多数の賛同者が現れ、会期も延長して展示された。その後、さまざまな経緯があって福島市に寄贈され、2018年8月に福島駅前に展示されることになった。基本的には、国内外でアートとして高い評価を受けてきた作品だという。そこには、震災後に立ち上がった会津電力社長の佐藤弥右衛門氏や、元岡山県副知事で福島市長の木幡浩氏の名が挙げられている。 (ヤノベ氏自身のコメントからの抜粋。http://www.yanobe.com/20180810_KenjiYanobe_Statement.pdf)
しかしながら、福島駅近くに設置された「サン・チャイルド」について、多くの市民が反発し、怒りの声を挙げた。これが福島市がいまだに放射能に汚染されたままであるという誤解を挙げ、東日本大震災でトラウマを経験した市民の心の傷を刺激するものであるというのが主な理由である。反原発の立場の運動家のモニュメントとして利用されることを望まない、という意見もあった。撤去を求める声もあり、この経緯は海外のメディアなどでも報じられた。木幡市長は、市民に理解を求める声明を発表したが、同時に市民の意見を聞きながら対応を決定していくと語っている(http://www.city.fukushima.fukushima.jp/hisyoka-hisyo/shise/goannai/shichonoheya/mayor20180813.html )。
2.政治的背景
私に期待されているのは、精神科臨床の立場からの発言であろう。しかし、このような問題について、中立で学問的な発言を心がけても、それが政治的な意味を持たないことは不可能である。「アート」を主張しても同様である。それならば、私なりにこの問題の政治的な背景をどのように理解しているのかを記し、その上で自分の立場を明確にした上で、臨床的な立場からの見解を述べることにしたい。その方が、私の制御できないところで政治的な意図が働いてしまう余地を、もっとも少なくできるだろうと期待している。
私は直接の面識が深くあるわけではなく(多人数が集まる場所でお会いしたことはある)、その活動の詳細までを把握している訳ではないが、老舗の大和川酒造の9代目当主であり、震災後に立ち上がった会津電力の社長、佐藤彌右衛門氏の存在を無視するべきではない。「16万人の『原発難民』を生んだ福島に、原発との共存はない」「福島の脱原発はイデオロギーではない」「県内の電力エネルギー需要を、再生可能エネルギーのみで賄うことを可能にする体制づくりを理念とする」などの言葉を発しながら、小泉純一郎氏を招いて後援会を開催するような人物である。ヤノベケンジ氏は、サン・チャイルドについて弁明した文章の中で、「2014年、そんな中で出会ったのが福島の佐藤彌右衛門さんでした。福島で再生可能エネルギーによる電力会社を立ち上げ、福島から自主自立のエネルギーを生み出し状況を変えたい熱い想いをお持ちでした。そこで私は、自分にできることで協力をしたいと申し出ました。佐藤さんが困難に立ち向かい実践される姿が、自分の中で≪サン・チャイルド≫に重なりました」 とまで語っている。
筆者の立場をここで明確にしておきたい。私は会津電力が行っている主張の中の、「中央から独立した、エネルギー自立を目指す」という内容には、強く共感している。私は年来、中央からの強烈な統制が日本社会の末端にまで行き渡ることの弊害を訴えてきた。そこで、福島第一原子力発電所事故のような事件を経験した福島県から、経済的にも中央への依存性を低くした社会の有り様を構築する動きが出てくることは、望ましいことと考えている。
ちょうど個人的にも、今年2月に東京電力を批判する文章をブログで発表した所、それまで頻繁に依頼のあった大手出版社からの連絡がピタッと来なくなったことを経験した。本業も忙しくなってきており、ブログを書く時間も無くなってきたところだったので、ちょうど良いかと考えていたが、そのような形で社会の言論統制が進んでいることは、おそろしいと感じた。したがって、今回のサン・チャイルドの件について、批判されることは仕方がないにしても、あまりに強烈に否定される状況には、危ういものも感じている。
そのような事情を踏まえて、この「サン・チャイルド」が、「反原発」の政治的な意図を持ったものだと判断されても仕方がない代物であることを認めなければ、議論は進められない。「現代アートだ」という弁明は、弱く感じる。そして、そのような立場の人たちの存在感が大きくなり、影響力を増すことを望まない人々が、強くこれに反発しているのが、今回の顛末の一つの側面である。しかしながら、福島駅近くに巨大なモニュメントを設置するに当たり、そういった事情について調整を行わないで性急にそれを実行したのだとすれば、反発や混乱が起きたのは必然である。手続きが拙劣であった印象は否めない。
ここで、もう一つの政治的な状況に言及しておきたい。いわゆる「風評被害」についてである。主に福島県外の反原発に寄った人々の持つ絶望的な鈍感さと、それへの福島県内で生活している人々が持つ強い怒り(恨みに近いものがある)は、調停が困難なものになりつつある。今回の件もそうであるが、反原発の立場の人々の一部は、自らの政治的主張を喧伝する際に「放射能汚染」を強調することが、現場で暮らす人にとって、自らや家族の身体、生活している土地やその産物を直接に攻撃し、それを貶める質を持っていることへの想像力が欠如している。
反原発の人々が福島県内の「汚染・危険」を強調することに対して、除染や諸検査を積み重ねた上で達成されたデータを示して安全であることを伝えようとしても、強烈な侮辱とともに「政府や東京電力の犬」といった扱いを受けた経験は、福島県に暮らす人々ならば少なからず経験している。私もそのような体験をして、反原発運動とは距離を置くようになった。「汚染されている」という批難が、例えば農作物についての言明であるならば、それは単に精神的な問題だけではなく、値段が低くされるという実害である。上の段落のような事情を書くと、今回のサン・チャイルドに反発している地元の人を、そのような多数派の扇動に乗る人たちのように感じる、県外の反原発の立場に共感的な人もいるだろう。しかし、現地で生活していると、この段落で触れたような反原発運動の破壊力は強烈であり、これが住民によってはトラウマのような効果を発揮してしまったことも目撃している。そのような人々にとっては、今回の展示は「トラウマの反復」である。地震・津波・原発事故・避難生活に加え、風評被害を含めた5重苦であると、東日本大震災のことを考えている福島県内の人々は少なくないのだ。この当たりの事情については、林智裕氏の論考に詳しい(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57167 )。
3.トラウマ臨床の観点から
東日本大震災によって、多くの人がトラウマを経験した。私は福島県南相馬市でメンタルクリニックを開業しているが、今でも年に何人か、重篤なPTSDの症状を持った人が受診される。震災後7年以上が経過したが、ここまで一切の治療を受けたことがなかったという人も少なくない。PTSDの症状や、それが病気であることが、十分に知られていないのだ。津波や地震で強い恐怖を経験した場面がトラウマ記憶になっていることが多いが、テレビに原発事故の避難指示が出た地域が拡大されたことが表示され、そこに自宅が含まれることになったシーンを見た場面が、トラウマ記憶になっている人もいた。PTSDと診断されるほどではなくとも、軽微なトラウマ反応を持つ人は多い。
トラウマ反応について、簡単に紹介しておきたい。PTSD診断のためには、実際に自らの命や安全が危機にさらされる出来事を体験したか、そのような体験をした人を間近で目撃したなどの事実があることが必要である。そして、その「トラウマ記憶」が、後に悪影響を与え続ける。苦痛に満ちたトラウマ記憶が、フラッシュバックや夢の形で、自らの制御のできない形でくり返し出現する再体験症状が、もっとも特徴的である。これは、落ち着いて過去のことを振り返って思い出すのとは、根本的に質が異なっている。時間の感覚は失われ、現在は安全な場所にいたとしても、トラウマを体験した場所に時間を超えて戻ってしまったようになり、それに伴う恐怖と苦痛はとてつもなく強い。この再体験症状は、何らかの形でトラウマ記憶を連想させる刺激に触れた時に、誘発されることが多い。
臨床的な立場から、「サン・チャイルド」の設置に疑問を感じるのは、この像が人によってはトラウマの再体験症状を誘発する可能性があるのに、不特定多数の人が日常生活で普通に暮らす場面に設置されたことである。
このトラウマ記憶のもたらす苦痛があまりに強いので、トラウマを経験した人は,トラウマを思い出させる場面を可能な限り回避するようになる。現実の場面も避けるし、またトラウマと関連した思考も行わないようになってくる。これが長期に続いた場合には、当事者の生活と活動の幅を狭いものに制限してしまい、人生を十分に楽しむことを困難にさせる場合がある。
さらに深刻なのは、自分や周囲、あるいは生きている社会や世界についての信頼感が失われ、それが汚れたり劣ったりしたもののように感じられることである。恥の観念が強まり、将来についての希望が失われたようになる、否定的な認知が強まると言われる事態である。他の人から自分が孤立しているように感じ、明るい気分を体験したとしてもそれは長くは続かず、悲観的な気分が持続しやすくなる。
ここでもう一度、サン・チャイルドについて批判的なことを書くのならば、「放射線によって汚染された身体と土地」という否定的な認知を、必死の努力でニュートラルなものに戻しつつあったタイミングで、元の否定的な理解を強調していると理解されかねないメッセージを出してしまった点も指摘できるだろう。
PTSDの症状には他に、身体と精神が,常に危険に対して身構えている余裕の無い状態を持続することが強制されることによって生じる、覚醒亢進症状がある。警戒心が高まり、睡眠や集中は妨げられ、ちょっとしたことに大げさに驚くようになり、イライラと攻撃性が高まることもある。
ここからの回復のためには、日常生活が穏やかで安全、平和なものであることが望ましい。その意味で、今回のサン・チャイルドをめぐる論争を含めて、放射線についての議論に継続して巻き込まれることを強いられた福島県の環境は、PTSDの経過に望ましくない影響を与えた可能性がある。実際に、災害後のPTSD予防を含めたメンタルヘルス対策として全世界的に信頼されているPFA(サイコロジカル・ファースト・エイド)は、支援者がトラウマ記憶そのものにアプローチすることを決して推奨してはおらず、日常生活に寄り添ってそれの再建に協力することを重視する内容になっている。
しかし多くのPTSD患者が自然回復していく一方で、一部の患者さんではその症状がいつまでも持続したり、時にはトラウマの場面から何年も経ってから晩発性にその症状が出現することがありうることも、知られている。私が懸念しているのは、このようなPTSDの症状を持つ人が福島県を含んだ被災地には少なくないと予想されるのだが、それを本人が病気であると思わず、治療法があることも知らず、「周りの人も我慢しているから」とそのままにしている人が多いのではないか、ということである。
PTSDの症状については、SSRIという抗うつ薬の一種が有効であることが知られているが、それだけでは十分な症状の改善が得られないこともある。その場合には、PTSDに特化した心理療法が行われる。持続エクスポージャー法(PE法)、認知処理療法、EMDRなどが知られている。これらの治療には、いずれも何らかの形でトラウマ記憶に触れることが含まれている。この場合には、トラウマ記憶に触れないで、避け続けることが症状が遷延することにつながっていると理解されている。トラウマ記憶に触れることができない間に、混沌とした心の中に潜む恐怖の対象が、肥大化していく場合があるのだ。それに対して、例えばほりメンタルクリニックでも実施している持続エクスポージャー法ならば、「思い出すことも触れることもできずにグチャグチャになっていた記憶を整理し、その意味づけが明らかになることで、人生の文脈のなかにそのトラウマ体験を位置づけるようになる」ことや、「たまたま、トラウマとなる出来事の近くにあったので、本当は安全だけれど危険だと誤解してしまった対象と、本当に危険な対象がごちゃ混ぜになっていることの分別がつくようになる」「危険だった過去が安全な現在に混ざってくることに気がつき、そこの区別が明確になる」「そもそも、自分のトラウマ記憶に触れることに慣れてくる」「トラウマ記憶を避けるために、知らないうちに物事への姿勢が消極的になっていたのが、自ら能動的にトラウマ記憶について思いだし考えることを通じて、積極的で能動的な姿勢が強まり、それが人生の他の場面にも広がっていく」ことが、治療によって達成されることが目指される。
ここで読者は混乱されるかもしれない。最初は、避けるべき悪いこととして説明された「トラウマ記憶」を刺激することが、ここでは「積極的に思い出して味わわれるべきもの」に変わってしまっているからだ。その違いは、臨床的には「扱う場所が構造化されているか否か」によって区別される。「構造化」という心理臨床の専門用語を使うことを許してほしい。これは、時間や場所が限定されて、その内側では安全が保証され、その中では扱われる出来事についての目的や意図が明確にされていることを指す。例えば、トラウマ記憶について、診断や症状・治療法について十分に説明された上で、患者と治療者の間で治療契約が結ばれ、決まった時間に診察室の中で、治療者の責任の下で全体の調整を行いながらトラウマ記憶について語ることは、正当化され治療的な効果を発揮することが期待される。
「サン・チャイルド」を例にすると、芸術のイベントにおいて展示されていた限りにおいては、その場は十分に構造化されているので、鑑賞する人も「現代アート」を理解するための文脈の中でそれを見る。その場合には、余裕をもって芸術作品としてそれを楽しむことが可能となったのだろう。しかし「福島駅近く」は普通の生活空間であり、構造化の程度が弱い。その場合には、「サン・チャイルド」を見ることを、準備無くトラウマ刺激に曝露されたと体験してしまう人が出現する危険性がある。
この章の最後に、PTSDについての専門的な心理療法を行う場合には、患者さんの日常生活が安定していて、十分なサポートが受けられる体制が整っていることが前提であることを強調しておきたい。例えばPE法ならば、外科手術にたとえられることがあるほどである。症状が劇的に改善することもあるが、その治療を受けた患者さんたちの中には、実際にトラウマ記憶を想起することを含む治療を「苦しかった」と振り返る人も少なくはない。実際に介入を受ける人の安心と安全が保証されていることが、特に重要である。
4.アートに期待するもの
前章を読んでいただけると、私が「トラウマ記憶」の扱いについて、アンビバレントであることが分かっていただけると思う。それがもたらす苦痛があまりにも強力なために、短期的にはそれが刺激されないような配慮が十分に行われることが、絶対に必要である。
しかしながら、条件を整えてトラウマ記憶に向き合い、その自分の人生における意味を明らかにしていくことも、回復のためには必要なのではないか、と考えている。
話が飛ぶようで恐縮だが、私は第二次世界大戦のトラウマ記憶と向かいあうことを、日本人があまりにも避けすぎたことが、現在の日本の問題につながっていると感じることがある。
この矛盾を解決するために構造化された心理療法は有効であろう。しかし、それが実施できる体制は現状では大変に限られている。
心理臨床の場を離れ、社会一般の中で、トラウマ記憶についてのこの矛盾を解決してくれる可能性を秘めているものの一つは、やはりアートだろう。アートの方が、そのような期待を臨床家から向けられることを、どのように感じるかは分からないけれど。
今回のサン・チャイルドについては、ここまで述べてきたように、私にも不満な点が大きい。しかしこのチャレンジが、その中に秘めるポジティブな可能性を含めて全否定され、軽蔑の中に批難されるばかりの結果になることも残念に感じる。
すぐには困難かもしれない。しかし私は、 福島県のまさに地元の人が、さまざまな葛藤を乗り越えて達成した心性を内側から表現する優れた作品が、あちこちにたくさん現れて、県内のさまざまな場所に展示される未来を望みたい。そういうことがきっと、PTG:post traumatic growthだと思う。